原田知世とデジャ・ヴュ
ちょっと前の話になってしまうけれど、原田知世が結婚したらしい。
黒田さんや安達祐実の結婚、杉田かおるの離婚なんてものと比べると、世間はほとんど騒がなかったようだ。どうも納得できないが、そういうものか。
私にしてみると、原田知世は、ずうっと結婚なんてしないものだと思っていたから、ちょっと拍子抜けした。がっかりしたわけではなく、何となく拍子抜けしたのである。だいたい、アイドルが結婚したからって、がっかりするような歳でもあるまい。
テレビドラマ「セーラー服と機関銃」でデビューした頃から気になり、その気持ちは、映画「時をかける少女」で決定的となった。
ドラマでは、まだ髪の長い、どこか垢抜けない少女だったのに、「時をかける少女」でいきなりショートカットとなった。その透明感、凛々しさに目を見張った。青年将校のようだと思った。どういう意味かは、言っている自分でもわからない。
弓道部所属という設定の原田知世が、弓を引くシーンの素晴らしさ。監督の大林宣彦の演出は、当時、冴えに冴えていたのである。
ボーイッシュ、というだけでは説明できない、稲垣足穂の言葉を借りるならば、「A感覚」的少女というところだ。形而上学的美少女。いや、イデアとしての美少女か。・・・何だか、すごいことになってきたけど。
だからこそ、結婚という言葉がぴんとこない。拍子抜けしたのである。
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という、大林宣彦の「尾道三部作」は、いわば、デジャ・ヴュをめぐる物語である。
「時をかける少女」のラスト・シーンは印象的だった。
お互いの記憶を消された、原田知世と、未来に戻ってしまった少年が、十年後、再び出会うシーンである。成長し、大人になったふたりが、大学の廊下ですれ違う。ふと、少年が後を振り返り、そして、また歩き出す。すると今度は原田知世が何かを思い出したように振り返り、少年の背中を見るのである。
映画はここで終わる。
このシーンで思い出すのは、アメリカの写真家ドゥエイン・マイケルズの「シークエンス」と呼ばれる作品シリーズのひとつ、「偶然の出会い」だ。
「シークエンス」とは、時間的に連続した複数枚の写真を、いわば四コマ漫画のようにして見せるもので、本来なら時間の流れを表現できないはずの写真というジャンルに、時間という概念を持ち込んだものとして知られている。この作品が作られたのが1970年、映画が1980年だから、おそらく大林宣彦の脳裏にはマイケルズの写真があったに違いない。「偶然の出会い」の舞台はニューヨークあたりの都会の狭い路地、すれ違うのはふたりの男である。写真は全部で6枚、すれ違った後、ひとりが振り返り、その次、最後の写真では、もう片方の男が立ち止まって「おや・・・」という具合に後ろを振り返っている。一体、何がふたりの男をお互いに振り返らせたのかわからないが、何とも不思議な後味を残す作品だ。ここにも、何か、デジャ・ヴュが作用したのだろうか。
デジャ・ヴュ、形而上学、プラトニズム、そんな世界に、原田知世はよく似合う。
ここ数年、コーヒーのCMに出ている原田知世、その透明感は相変わらずだと思うのだが、いかがでしょう。
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