音版ビックリハウスを発見する
大掃除をしていたら、「音版ビックリハウス」というカセットが出てきた。懐かしすぎて、涙がこぼれ落ちそうになった。ほとんど、タイムカプセルみたいな発見である。
「ビックリハウス」といっても、テーマパークではない。あくまでも雑誌である。80年前後、「宝島」と並んで、私たちサブカル少年のバイブルであった。「宝島」は情報誌だが、こちらは、読者参加の投稿誌。「ヘンタイ」というカタカナ語を流行させた、糸井重里の「ヘンタイよいこ新聞」など、サブカル少年たちの登竜門となっていたものだ。
「ヘンタイよいこ新聞」、いわば、「欽ちゃんのドンといってみよう」みたいなものなのだが、実は、私も密かに投稿していて、何度か採用された。後に、本になり、そこにも、私の作品が掲載されているのが自慢なのだが、誰もその業績を理解してはくれない。
ところが。
20年ぶりに聴いてみたのだが、これが、まったく面白くない。20年前、こいつをどういう気持ちで聴いていたのだろう。それも思い出せない。こんなものを、今の若い人たちに聴かせても、戸惑うだけだろう。
音楽としては、「青い山脈」を引用したと思しい、細野晴臣の「夢見る約束」だとか、鈴木慶一の「ビックリハウス」の擬似CMなどは、まあ、悪くない。さすがだ、とさえ言える。
しかし、それ以外は、どうも何も面白くない。単なる、内輪のお遊びとしか思えない。80年代とは、しかし、こんなものだったのかもしれない。
当時はもちろん知らなかったのだが、読者参加のドラマに、大槻ケンヂが出演している。プロフィール欄に、「筋肉少女帯というバンドをやっています」というようなことが書かれているが、まだ、10代だったはずである。
それにしても、当時の私は、これを繰り返し聴いていたのか。そのような気もする。「スネークマンショー」のような、完成されたナンセンスではない。あくまでも、素人の集会である。少なくとも、現在の、大人の香り漂う私には、どこをどう見ても、我慢が出来ない。
素人の集会、ではあるが、サブカル少年たちの、「業界遊び」、そういうことかもしれない。読者も、何も、全部、内輪だったのだ。何しろ、そんなお遊びも、どこかで「現代思想の最前線」とやらにつながっている、なんていう妄想を抱いていた時代なのだから。
フーコーもビックリ、である。
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