アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヨコタさんと飲みに行く

yoko.jpg

ヨコタさんと一年ぶりに再会し、酒を飲んだ。

ヨコタさんはパリ郊外に住む画家で、毎年、夏になると来日する。ちょうど一年前にも、池袋の同じ居酒屋に行った。実は、馬鹿のひとつ覚えのように、もう何年も、この居酒屋で飲んでいる。もちろん、安いからである。
ただ、昨年はふたりとも短パンであったが、今年は、あえて、短パンを着用していかなかったら、案の定、ヨコタさんは短パンで、「何故、短パンをはいてこないの!?」と文句を言う。きっと、ペアルックで池袋の街をそぞろ歩くのを楽しみにしていたに違いない。ところが、気がつくと、新調したばかりの眼鏡が、ヨコタさんの眼鏡とそっくりだったので、それで勘弁してもらった。

スポンサーサイト

アジェの街

やっぱり、ウジェーヌ・アジェにたどりついてしまった。

ウジェーヌ・アジェ。
1857年、ジロンドに生まれたこの孤独な写真家は、ひたすらパリの路地や街並みをカメラに収め続け、膨大な量の写真を後世に残している。
彼のファインダーに切り取られたパリは、しかし、私たちがパリと聞いて思い浮かべるような華やかなものではなくて、その石の冷たい肌触りをじかに感じられるような、どんよりと重く沈んだ街。
それは、アジェが生涯変わらずに持っていた姿勢によるものだろう。彼は、何もきらびやかな観光用の写真や、ファッション雑誌に使うような写真を撮ろうとしていたわけではないのだ。ただ、博物館や画家に資料として売りつけるための、パリの「記録」写真を撮して回っていただけなのである。いわば、博物館に保存するための標本や図鑑。
ヴァルター・ベンヤミンに言わせると、「犯行現場」写真ということになる。まさに、身も蓋もないリアリズムの写真。

ディレッタントであったラルティーグとは、正反対の写真家である。

アジェによるラルティーグ



ラルティーグの動き回る視線、それは、少年の頃から持ち合わせていたもののようだ。
ラルティーグ少年を写した写真がある。
ウジェーヌ・アジェの、「リュクサンブールの人形劇」と題された写真で、そこでの主人公は、パリ6区のリュクサンブール公園で人形劇に見入っているらしい子供たち。

ラルティーグによるドアノー

  初めてのオートモービル
  空を飛ぶ冒険
  まだヒトが夢を見てた頃

    (大貫妙子「Jacques-Henri Lartigue」)


ドアノーその人を写した写真を見たことがある。
写真家ジャック=アンリ・ラルティーグの作品がそれだ。

これは、1988年に、パリのグラン・パレで行われていた長期にわたるラルティーグ回顧展で目にしたものなのだが、残念ながら私の持っていたフォトポッシュ版のコンパクトな写真集には収められていないし、その後手に取った2、3冊のラルティーグ写真集にも載っていなかった。
もしかしたら、その回顧展においてが初公開のものだったのかもしれないし、もっと大規模な写真集には収められているものかもしれないが、まあ、それもどうでもいい。
何しろ、ラルティーグが初めてその名を知られたのが1963年の「ライフ」誌の特集。本格的な写真集は、リチャード・アヴェドンの編集によるものがようやく1970年に出たという程度なのだから、未公開の写真はいくらでもあるはず。 

ドアノーによるアルクイユ



サティと私がお隣さんだった街、アルクイユ。
この街を撮っていた写真家がいる。
ロベール・ドアノー。
「市庁舎前のキス」は、あまりにも有名な写真で、誰でも一度は目にしたことがあると思うが、これを撮影したのがドアノーだ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。