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驚いたのである。
何がって、今日、本屋をうろついていたら、雑誌「ユリイカ」が、ムーンライダーズの特集を組んでいたのである。雑誌の内容も確認せずに、財布の内容も確認せずに、レジへ急いだのは言うまでもない。別に急がなくても、誰も買いやしないだろうが。
音楽雑誌が、ムーンライダーズ特集を組むのは理解できる。それが、「ユリイカ」とは。まあ、確かにここ数年の「ユリイカ」、敷居が低くなっていたことは確かだけれど・・・。
ムーンライダーズは、YMOと並んで、私の青春時代を形成したバンドである。高校生の頃から、二十代半ばまで、ムーンライダーズを聴かずに、あるいはムーンライダーズを考えずにいた日はない、とさえ断言できる。
80年前後、いわゆるニューウェイヴ全盛の頃、ムーンライダーズは、「ビックリハウス」とか「宝島」を読んでいるような、「サブカル」少年たちのアイドルであった。
YMOが好き、と言うのはちょっと恥ずかしい。でも、ムーンライダーズが好き、と言えば、お、こいつ、出来るな、と思われる、そんなバンドだった。
現代思想を語る坂本龍一、神秘主義を語る細野晴臣、ファッションを語る高橋ユキヒロ、という、YMOの3人の存在がどんどん肥大化していって、動きが取れなくなってゆく頃、ムーンライダーズは、軽やかに時代の脇道をすり抜けてゆく。
売れそうで売れない、最先端のようでクラシック、アヴァンギャルドのようでポップ、軽快なステップを踏みながら、そして、東京者としてのはにかみも忘れず、きっちりと時代への批評精神を持ちつづけていた。実際、問題作は数知れないし、「マニア・マニエラ」のように、自ら発売を封印してしまったアルバムもある。
「砂丘」「いとこ同士」「彼女について知っているニ、三の事柄」「スカーレットの誓い」「青空のマリー」「9月の海はクラゲの海」・・・そんな曲を毎日のように聴きながら、ボンクラ少年であった私は成長したのだ。まあ、成長していないとも言えるが。
ムーンライダーズ、何と、今年で結成29年だそうだ。
故ナンシー関もムーンライダーズの大ファンで、生涯に一度だけ、有名人に会って少女のように顔を赤らめたことがあるが、その相手は鈴木慶一だという。その後、鈴木慶一と親しくなって、カラオケでムーンライダーズの曲を歌ってもらった、と、誇らしげに書いている。
ちょっといい話である。