アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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あらゆる格闘技はフィクションである

誰が一番強いのか。

それは、格闘技マニアにとって永遠の論題である。
ブルース・リーか、アントニオ猪木か、大山倍達か、前田日明か、それとも、ヒクソン・グレイシーか、山下泰裕か、いやいや、アレクサンダー・カレリンだ、いや、ヒョ―ドルだ、と、格闘技マニアなら、誰しも、「私が考える世界最強の男」というものを持っている。格闘技マニアが2人以上集えば、論争となり、夜を徹しても、その答えは出てこない。当たり前だろう、居酒屋あたりで酔っ払いがいくら最強を論じようと、何も始まりはしないのである。
かくいう私も、そんな不毛な論争を好むひとりで、もう15年くらい前になるだろうか、パリのアパートで、料理人の友人を相手に、昼過ぎから深夜まで10時間、最強論争を続けた記憶がある。気がつけば、ワインのボトルが、6~7本空いていた。呆れて隣の部屋へ避難していた妻の証言によれば、10時間の間、話は一歩も進展していなかったそうだ。

誰が一番強いのか。
最強論争は、往々にして、不毛な堂々巡りに陥ってしまう。簡単に言えば、ルールが違う格闘技同士を戦わせることは無意味である、ということだ。野球とテニスと、どっちが強いのか、と問うているようなものだからだ。そこで誕生したのが、「総合格闘技」。あらゆる格闘家たちに公平になるようなルールを設定し、試合をさせる。「異種格闘技戦」ではなく、あくまでも、様々なバックボーンを持った格闘家たちが同じ土俵に上がる、という思想。
例えば、PRIDEならば、その時のチャンピオン、例えばヒョ―ドルが最強である、ということになる。柔道では井上康生が最強である、と言うのと同じ理屈だ。そこで終われば何の問題もないのだが、そこで終わらないのが格闘技マニアというもので、「総合格闘技」を、他の格闘技の上位概念としてしまったり、はたまた、格闘家ではない、路上の喧嘩屋なども比較の対象にしてしまったり、せっかく収まりかけた「最強論争」を再び袋小路に追いやることになってしまう。

「そんなに○○が強いのなら、PRIDEに出て、勝てるのか?」
などという論旨にはまりがちなのも、「最強論争」の傾向である。
ところが、それが罠というもので、PRIDEは、「最強」の物差しでも何でもない。
すべての格闘技には、その競技固有の物差しがあって、その中で、強弱が、勝敗が決定する。だから、異なる物差し同士が交わっても、勝敗は導き出されないのである。

例えば、ボクシングなら、ダウンさせて10カウント数えれば勝利が決定する。しかし、極端な話、これが路上の喧嘩だったらどうだろう。数分でも、数十分でも経過してから立ち上がり、反撃を加える可能性は大いにあるわけだし、後日、援軍を率いてリベンジ、という選択肢さえ残されている。ストリート・ファイトというのは、そういうものだ。
あるいは、PRIDEのリングでは、それだけでは何の意味もない投げ技。例えば、吉田秀彦の投げ技を、コンクリートの路上で食らったらどうなるだろう。それだけで脳震盪を起こしたり、骨折したり、下手をすれば一命にかかわることになるかもしれない。
路上には、もちろん、「ストップ、ドント・ムーヴ」も、「膠着状態のブレーク」もない。
もちろん、金的攻撃も、目潰しも、不意打ちもあれば、武器を使用することもある。もちろん、リングの上のように、上半身裸で戦うとは限らないのだ。

そうなると、最強論争は歯止めが利かなくなる。
ヒョ―ドルよりも、武器を使ったり、数人での闇討ちをかけることができるようなやくざが強いことになる。しかし、いくら強面のやくざも、機動隊が出動すれば制圧されるだろう。その機動隊も、自衛隊の戦力には勝ち目はないし、自衛隊だって、米軍には勝てないだろう。となると、最強は、ブッシュか?いや、ブッシュを操るネオコン人脈か?いや、いかにラムズフェルドとて、自分のお母さんには頭が上がらないかもしれない。
物差しの相違を無視した「最強論争」とは、つまるところ、そういうことになってしまうのだ。

そこで思い出されるのが、合気道・養神館の塩田剛三の言葉である。一番強い人というのは、「自分の首を取りに来た人と仲良くなってしまうような人である。」そんな意味だっと思う。
リングでは勝てなくても、何でもありなら、この人は誰にも負けない、と、「グラップラー刃牙」の作者・板垣恵介をして言わしめた、この伝説の達人の言葉には重みがある。

もともと、すべての格闘技は、実戦を想定して出発していると言えるだろう。しかし、その実戦というものの解釈の違いで、違う物差しが出来上がってくる。実戦ではない、試合が組まれ、優劣や勝敗を明確にするためのルールが出来あがってくる。格闘技の試合では、戦う両者に公平な条件を設定することになる。1対1であること、両者同時に戦いを始めること、などが前提となるのだ。
しかし、「実戦」において、双方に公平な条件など可能だろうか。つまり、実戦からスタートしながら、格闘技というもの、実はフィクションなのである。あり得ない条件のもとで試合を行い、勝敗を決める。あくまでも、疑似的な実戦でしかない。
PRIDEだってもちろん同じことである。PRIDEだって、所詮フィクションである。格闘技マニアが期待するような、「最強」の物差しにはなり得ない。あくまでも、「PRIDEのチャンピオン」が存在するだけの話だ。

公平な条件を前提としない格闘技、ということを考えると、例えば、それは古武術になる。試合という概念のない古武術である。試合での勝敗には、何の意味もない。例えば、日常で襲われた時の対処や護身術、複数の敵や武器を持った敵と戦う時の戦術、いずれも試合にはなり得ないものなのだ。

古武術家に対し、「PRIDEに出てシウバと戦ってみろ。」などと言ったところで、何の意味もないことがわかるだろう。古武術家にとって、試合というのは単なるフィクションにしか過ぎない。

宮本武蔵が実際に強かったのかどうか、議論は尽きない。ヒクソン・グレイシーの生き方と重なる部分もあるのだが、アスリートではない、武芸者にとっては、何よりも、負けない、つまり、生き延びてゆくことこそ最も重要な課題であると言えるだろう。
武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘。PRIDEであれば、リングに上がるのが遅れた武蔵、その場で不戦敗である。試合自体が成立しないからだ。しかし、これは、試合ではなく、どちらが生き延びるか、という戦いなのだ。まさに、リアル。


「グラップラー刃牙」の地下闘技場の最強トーナメント。
ウォーミングアップなどをする選手たちに対し、渋川剛気は言い放つ。
「所詮、スポーツマンじゃのう!」
ウォーミングアップを行って、対戦者双方が平等な条件を前提に、ヨーイドンで試合を行う、これはまさにフィクションではないか。武芸者とは、常に、どこからでも闘うことができ、生き延びることができる者を言うのだ。
もちろん、渋川先生のモデルは、塩田剛三である。

すべての格闘技はフィクションなのである。
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Comment

魔羅一郎 says... "最弱は誰だ!?"
猫大人、今晩は。
最強伝説でしょうか・・・?
勝った奴が強いのか、強いから勝つのか、まるで鶏と卵の関係ですね。
ワインの空瓶の転がる中、夜の深まりも忘れて、たわいもない論争に興じる。そんな猫大人はとってもス・テ・キ!
様々な環境やルールによって、強者が弱者に、弱者が強者に変ずる。最強と云う者は存在せず、ジャンケンでグーがチョキに勝ち、パーに負ける様に、強き者は同時に弱き者であると云う真理を垣間見た思いがします。
2006.09.12 22:49 | URL | #- [edit]
猫目 says... "最弱の哲学"
魔羅伯爵、こんにちは。
そう、最強論争なんて、じゃんけんみたいなものですね。長嶋茂雄とアントニオ猪木と矢沢永吉では、誰が強いか、みたいなものです。だって、まったく違うんだから。
ですから、「空手最弱」だの「柔道最弱」だのという発言は、ナンセンスなのです。

巴里の夜を震撼させた伯爵のナイフさばきも、なかなかのものでした。あの、かっこいい飛び出しナイフ、今もお持ちですか。ナイフが飛び出すときの、あの「カシャッ」という音、今も忘れられません。
2006.09.13 17:37 | URL | #- [edit]
くにこ says... "笑えます"
こんにちは。格闘技は全く知りません。知っているのは、オリンピックの柔道ぐらい。日記の「あきれて妻は・・・・、話は全然進んでなかったらしい」に笑ってしまいました。

10時間も語れるって、すごいですねーーー。あたしが10時間語れるっていったら「?」と思ってしまいました。
2006.09.13 19:33 | URL | #- [edit]
猫目 says... "笑ってください。"
くにこさん!こんなところへ恐縮です。
そう、酔っているし、馬鹿だし、で、話は、一歩も前へ進まなかったんですね。
馬鹿馬鹿しいったらありゃしない、ってやつです。
10時間語る・・・くにこさんには、あれも、それも、あるじゃないですか、語るべきことが・・・!
また、気軽に遊びに来てください。
2006.09.13 22:36 | URL | #GaU3vP2. [edit]
ヨコタ says... ""
わざわざぼくのブログにコメント有難うございました。気が付かないでごめんなさい。今更この歳で再就職したものだから、体力が回復しないで、少しでも時間があると、目標は果たさないで、寝てばかりいたためです。
最強の男に立候補する気はありませんが、最近は、更に、腕相撲には自信があります。次も付き合ってください、勝負。
2006.09.17 04:40 | URL | #- [edit]
猫目 says... "就職祝い"
その後いかがですか。
再就職、パリまで毎日通勤ですか?仕事の様子など、また、ブログで書いていただけると嬉しいです。
腕相撲、もう、ヨコタさんに勝つ見込みはなさそうです。画家の腕力、もう、舐めたりしませんので、どうかご勘弁ください。
2006.09.18 16:39 | URL | #- [edit]

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土俵 土俵(どひょう)は、土を盛って作る相撲の競技場である。現代の大相撲では、一辺が6.7mの正方形に土を盛り、その中央に直径4.55m(15尺)の円が勝負俵(計16俵)で作られていて、その円の東西南北4箇所に、徳俵(計4俵)と呼ばれる俵1つ分の出っ張りが設けられている。
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