アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

観察するふくろう

パリにいた頃、先立つものはなくとも、死ぬほど時間があったから、いっそ、「観察するふくろう」にでもなってみようかと思った。
「観察するふくろう」というのは、18世紀フランスの作家・レチフ・ド・ラ・ブルトンヌが、その著書「パリの夜」の中で、マントを羽織って深夜のパリを徘徊し、人々の生態を観察する様子を自ら名づけたものだ。革命前夜のパリに起きている様々な事件や人物を覗いて回るという趣向である。

「ふくろうよ、お前の不吉な叫びは、夜の影のなかでいくたび私を震えおののかせたことか!お前に似て憂鬱で孤独な私は渺茫たるこの首都のなか、暗闇のただなかをひとりさまよい歩いた。」(「第一夜 プラン」)

人々が寝静まった夜中に、街の中を歩き回るのは悪い気分ではない。いや、むしろ、爽快ですらある。ひとりきりになれるような気がする。昼間と同じ道を歩いていても、違う発見がある。窓から漏れてくる明かりを目にするのも好きだ。夜遅くまで開いているビストロの、がちゃがちゃという食器の音を聴くのも悪くない。

「たとえば日暮れ時、農家のあぜ道を一人出歩いていたと考えてごらん…。庭先にりんどうの花がこぼれるばかりに咲き乱れている農家の茶の間。明かりがあかあかとついていて父親と母親がいて子供がいてにぎやかに夕飯を食べる。これが、これが本当の人間の生活というもんじゃないかね。…君!」

フーテンの寅こと、車寅次郎の言葉である。(「男はつらいよ 寅次郎恋歌」より)
もっとも、寅さんのこの言葉は、義弟、つまり、妹さくらの夫の博の父親・志村喬の受け売りだ。

もちろん、レチフは、りんどうの花が咲き乱れる農家の茶の間の明かりを発見したりはしない。革命前夜のパリは、ちょっとばかり物騒である。

例えば、同時代人マルキ・ド・サドにも遭遇している。フォーブール・サン・トノレ街の邸宅で、サドが酒池肉林、というよりも、目を背けたくなるような残虐な酒宴を開いている現場を目撃するのだ。
もちろん、この目撃情報はガセネタである。
また、サドが誘拐した女が逃亡するという現場にも遭遇しているが、これは、有名な「アルクイユ事件」のことで、史実によれば、女が監禁されたのは、郊外の町アルクイユなのだから、パリ市内で遭遇できるはずもない。

実は、レチフとサド、宿命のライバルであった。
サドが、問題作「ジュスティーヌ」を書けば、レチフは、「アンチ・ジュスティーヌ」を書き、サドへの対抗心を燃え上がらせた。後世の、矢吹丈と力石徹みたいなものだ。

「観察するふくろう」。しかし、よくよく考えてみれば、これは、単なる変質者である。夜な夜な街をうろついて、他人の生活を覗き見ていたら、怪しまれて通報でもされるのがオチだ。もちろん、「観察するふくろう」で、生計が成り立つわけがない。
涙をのんで、やめることにした。
スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://libertin.blog11.fc2.com/tb.php/113-bf8f34b1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。