アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

怪談なかよし堂

yagumo.jpg

大久保小学校の向かいには、「たち」という小さな文房具屋があった。
「太刀」と書くのか、「舘」と書くのか、あるいは、「ぼくの伯父さん」のジャック・タチのごとく、Tatiと書くのか、そのへんはわからないが、とにかく、登校前に寄って、足りない文房具をあわてて買ったりした。「たち」ではなく、「タッチ」と呼ぶ子供もいた。おばあさんが店番をしていて、子供だけで入ると機嫌が悪かったが、親や祖母などを連れて行くと、妙に愛想が良く、椅子まで出してくれたりもしたものだから、子供ながらに、どうも信用がならないような気もしていた。

「たち」から100メートルほど離れた場所、ほとんど、職安通りに出るあたりには、「なかよし堂」というおもちゃ屋があった。ここでは、プラモデルを買ったり、当時流行していた切手を買ったりもした。「この切手なんて、きれいじゃない?」などと声をかけてくれる店のおじさんは、いつもニコニコしていた印象があるが、うまいこと言って、高いものを買わされた、なんて訴える子供もいたから、本当のところはわからない。

文房具屋とおもちゃ屋。
一見、棲み分けができているようにも思うのだが、実は、売られている商品が微妙に重なっていた。例えば、プラモデルだ。質・量ともに、おもちゃ屋であるなかよし堂が抜きんでていたが、ちょっとしたものなら、たちでも買うことが出来た。文房具屋とはいえ、玩具に近いものも置いていたのだろう。なかよし堂でも、文具くらい置いていたかもしれない。

それだから、このふたつの店は、子供たちから、ライバル同士であり、仲が悪い、と思われていたのだ。なかよし堂のおじさんと、たちのおばあさんは、道であっても目も合わせない、などと証言する子供もいた。まさに冷戦状態である。

ここで終わっていれば、何と言うことはない。よくある話だ。
それが、ある時期から、おかしな噂が流れ始めた。仲が悪いというのは見せかけで、実は、この両店、地下通路でつながっている、というのだ。まさか、と思ったが、都市伝説の浸透は驚くほど早い。いつの間にか、この地下道説、子供たちの間で定着してしまった。

冷戦下にある敵同士が、水面下で実は結託している。
どこかで聞いたことがあるに違いない。そう、「第3の選択」である。冷戦状態にあったアメリカとソ連、実は、極秘裏に手を結び、共同で、火星への人類移住計画を進めている、という陰謀である。この、驚嘆すべきドキュメント番組がイギリスで放映されたのが、1977年。なかよし堂とたちの「第3の選択」計画は、それより数年前だから、このドキュメンタリー番組に影響された都市伝説の類と済ませてしまうのは早計だ。そして、火のないところに煙は立たない。しかし、一体、誰が、何のために地下道を作ったのだろうか。

ところで、この両店を結ぶちょうど中間あたりに、何があったか。
小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、明治37年にその生涯を終えるまでの2年間を過ごした屋敷である。
正確には、東京府下豊玉郡西大久保村仲通り265番地。大久保小学校に隣接する、旧板倉子爵邸だった800坪の広大な屋敷である。当時は、とても閑静な住宅地だったようだ。
長男・一雄が、屋敷について、こう書いている。
 
「南面は石灯籠が二ツ、庭井戸も二ツある植木の多い庭で、その庭の尽きる辺、東寄りは霞網が張ってあったり黐枝が立ててあったりした相当広い孟宗藪でした。北の背戸庭には三百羽の鶏を入れた鶏舎と、菜や大根が作ってある幾十坪かの畑とがあり、これらにとり巻かれて五十坪ほどの平屋造りの日本家が建っていました。」(小泉一雄「父『八雲』を憶う」恒文社)

八雲邸から見ると、北側で大久保小学校と接している。南面の庭が、後の「なかよし堂」の方角となるわけだが、何しろ、800坪という広大な土地だから、もしかしたら、後になかよし堂となる土地も、この屋敷の敷地内だったのかもしれない。

八雲の代表作、「怪談」は、この屋敷で書かれている。その執筆の様子については、妻・節子がこんなことを書いている。

「この『耳なし芳一』を書いています時のことでした。日が暮れてもランプをつけていません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。『はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか』と内からいって、それで黙っているのでございます。(中略)それから書斎の竹藪で、夜、笹の葉ずれがサラサラといたしますと『あれ、平家が滅びて行きます』とか、風の音を聞いて『壇の浦の波の音です』と真面目に耳をすましていました。」(小泉節子『思い出の記』恒文社)

まさに、怪談屋敷である。
耳なし芳一や平家が現れるような土地である。ハーンの死から数十年後、なかよし堂とたちの不思議な話のひとつやふたつ、流布するようになるとしても、何の不思議もない。

小学校に入ったばかりの頃だったろうか。
秋の展覧会で、上級生が描いた絵を見ていたら、そのうちの一枚に、まさに、耳なし芳一を描いたものがあった。琵琶を弾く芳一のまわりを、人魂が飛び交っている、そんな絵だった。その絵の構図は、今でも憶えている。ちょっと首を傾けて、上向きで、何かを詠っている芳一。もちろん、人魂の存在には気づいていない。6歳や7歳の子供には、その絵が、とても恐ろしく映ったものである。

あの絵を描いた上級生は、小学校の隣に、ハーンが住んでいたことを知っていたのだろうか。それとも、あの頃、教室の本棚に必ず置いてあった「怪談」を読んで、描いただけだったのだろうか。そもそも、あの絵を描いたのは、誰だったのだろうか。

今では、「小泉八雲終焉の地」と書かれた碑だけが、校門の脇に残されているものの、なかよし堂も、たちも、もう、とうの昔になくなっている。

ふたつの店をつなぐ地下通路は、今でも、この足の下に続いているのか、気になって仕方がない。
スポンサーサイト

Trackback

trackbackURL:http://libertin.blog11.fc2.com/tb.php/114-42170c5d
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。