アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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ラ・ボエーム

最近、更新をしていないもので、前々回のブログといっても、ずいぶん昔の話になってしまったが、シャルル・アズナブールの話を続けよう。

アズナブールというと、「ラ・ボエーム」という名曲があって、これが実に美しい曲なのだ。
戯れまでに歌詞を訳してみたのでここに載せてみたい。

  ラ・ボエーム  シャルル・アズナブール作詞

 これからお話するのは
 二十歳に満たない人たちにはわからないある時期のこと
 あの頃、モンマルトルでは
 リラの花がぼくたちの部屋の窓にまで咲き乱れていた
 ふたりの巣だった質素な部屋が
 みすぼらしいものだったとしても
 そこでぼくたちはお互いを知った
 ひもじくて苦しんでいたぼくと
 裸でポーズをとっていた君

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 それが意味していたものは ぼくたちは幸せだということ
 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 ぼくたちの食事は 二日に一度だけ

 近くのカフェでは
 私たちは いっぱしの芸術家
 栄光の日を待ち続けた
 貧しくても
 空腹を抱えながらも
 その日を信じて疑わなかった

 絵を売っては
 暖かい食事を手に入れ
 ストーブを囲んで
 詩を詠んだ
 それで冬の寒さを忘れた

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 それが意味していたものは 君はきれいだということ
 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 そして ぼくたちはみな、才能にあふれていた

 ときどき
 イーゼルの前で眠れぬ夜を過ごすこともあった
 胸の線や腰のふくらみのデッサンに手を入れ直して
 ようやく朝になって
 ぼくたちはカフェオレを前にして腰をおろした
 へとへとだったけれど満ち足りていた
 愛し合っていれば
 人生を愛していれば それで十分だった

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 それが意味していたものは ふたりが二十歳だということ
 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 そして 飲まず食わずで生きていた

 ある日、偶然にあの頃の界隈に足を向けてみた
 ぼくの青春を刻んだ壁も通りも
 もう見つけることはできなかった
 階段の上に
 アトリエを探したけれど
 面影は何も残っていない
 新しい景色の中で
 モンマルトルは悲しげに映り
 リラの花は枯れ果てていた

 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 みんな若かった みんなどこかいかれていた
 ラ・ボエーム ラ・ボエーム
 それは もう何も意味していないということ

ボエーム、とは、ボヘミアンのことだ。
ボヘミアンというと、80年代を席巻した葛城ユキの「ボヘミアン」ではないけれど、タロットカードを操る放浪の民なんてものを思い浮かべるが、実は、19世紀のパリでさかんに使われ始めた言葉である。社会の周縁で生きる貧しい人々を意味したものだが、そこで大きな位置を占めるのが芸術家なのだ。

若く貧しい芸術家。
そして、それは、神話化されて文学や芸術の中に再生産される。ひとつのジャンルを作るわけだ。プッチーニのオペラ「ボエーム」も、そんな人々を描いたものだ。

アズナブールの「ラ・ボエーム」も、もちろん、ボヘミアンの神話を継承するもの。

主人公は、モンマルトル界隈に住む若いふたり。
貧しいが、芸術に燃え、夢に生きていることで、何の不安も感じていない。
もちろん、ふたりは愛し合っているのだから。

ところが、おそらく、ふたりの愛は終わりを告げ、芸術家として成功したかどうかも怪しい。
それから時が経ち、モンマルトルのアトリエを訪れる「ぼく」
しかし、そこに昔の面影はなかった。

若き日、ラ・ボエームという言葉が意味するもの、それは幸せであり、美しい恋人であり、二十歳という若さであった。しかし、その幸福な時代が過ぎてしまえば、この言葉は、もう何の意味も持たない。
若さゆえの特権、いや、若気の至り、それが、ボエームなのだ。残るのは若き日のほろ苦い思い出だけだろう。


「ラ・ボエーム」を知るずっと前から聴いていた、大貫妙子の「若き日の望楼」という曲がある。

こちらも引用してみる。


  若き日の望楼 作詞 大貫妙子

 あの頃 朝まで熱く
 パンと ワインで
 私達は語った

 馴染みの 狭い酒場に
 通いつめては
 仲間達を ふやした

 そして あの頃の
 あなたも 若くて
 かたくなに 愛しあい
 それが すべてだった
 生きる すべてだった

 貧しい 絵描きの家に
 子供が生まれ
 祝い酒を かこんだ

 そして 今来たの
 過ぎし日の通り
 あとかたもない 愛の巣
 見えぬ 時代の壁
 かえりこない 青春


これは、間違いないく、「ラ・ボエーム」だろう。
若き芸術家たちのサロンと終わりのない議論。。そして、ラストに、かつてのすみかを訪れるところまで、まさに「ラ・ボエーム」だ。
大貫妙子は、アズナブールの曲を意識して書いのだと思う。これも、名曲だ。

芸術家でなくとも、誰しも、多かれ少なかれ、ボヘミアンだったことがあるはずだ。
思い出すと恥ずかしくて、ほろ苦い。それでも、それが、少しずつ懐かしさを帯びてくるのは、私自身、それなりに歳を重ねてしまった証拠だろうか。
いや、今でもボヘミアンであると、少々恥ずかしながら、言ってもみたいものだが、それはあまりにずうずうしいというか、見境がないというか、ちょっとばかり気味が悪いというか、まあ、やっぱり、やめておこう。
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