アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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澁澤龍彦回顧展

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神奈川近代文学館で行われている「澁澤龍彦回顧展」というやつを見に行ってみた。

港の見える丘公園の敷地内という風光明媚な場所に、この文学館はある。入り口付近に置かれた看板の文字を見て、感慨を深くする。曰く、澁澤龍彦生誕80年。つまり、生きていれば、今年で80歳だったということだ。
盟友・出口裕弘氏が、この回顧展の期間中にレクチャーをする予定が、体調不良により、詩人・平出隆氏に交替となった、というが、澁澤と同じ80歳という年齢を考えれば、いたって当然のことだろう。

回顧展は、澁澤の生涯をいくつかのテーマに分け、直筆の書簡、原稿、日記、写真、原書、著書、と、豊富に展示してくれている。サドの直筆原稿というのは、確か、以前にも目にしたことがあったが、コクトーから澁澤に宛てた手紙や、サド全集を最初に購入した際に、出版者、ジャン・ジャック・ポヴェール氏から直接送られた手紙は初めて見た。もちろん、これは、そのまま本の代金の請求書でもある。澁澤が最初に手にしたポヴェール版のサド全集、実は、私も同じものを持っている。ちなみに、ポヴェール氏本人に、私は会ったことがある。1989年にパリ第八大学で開催された、サドに関する小規模なシンポジウムで同席したのだ。いかがわしい髭を生やした怪人物という印象だったが、18世紀をはじめとする数々のポルノグラフィーや暗黒小説などを発掘・出版し、自分でも、サドの精緻な伝記を書いてしまったのがこの男だ。

他にも、三島由紀夫や稲垣足穂、生田耕作などから澁澤に送られた書簡も目にすることができた。

澁澤については、以前にもブログで何度か書いたことがある。
そのオリジナリティの欠如についても触れたが、このことについて、澁澤本人が書いている書簡が展示されていた。読者からの指摘に答えたものらしい。

「私の書くものは、ほとんどすべて原形があります。(中略)ほとんどすべて下敷があって、自分で公開してもよいのですが、かくしておいて読者に見つけてもらうのも一興かと存じます。(中略)私の場合、オリジナルなものは、おそらく日本語の文体だけでしょう。」

裏を返せば、文体へのこだわりと自信があるということだろう。
貴重な手紙である。

小一時間ほど見て回り、いざ出ようとして気づいたが、30分後に始まる予定の今日のレクチャーは、四谷シモン氏であった。チケットはすでに完売、会場に入って直接聴くことはできないということだが、モニターでなら聴くことはできるらしい。どうしようか少々迷ったが、面倒になって外に出た。花の咲き乱れる公園の道を歩いていたら、四谷シモンその人とすれ違った。会場に向かう途中だろう。あ、と思って、すれ違いざま凝視してしまったら、目が合ってしまった。それでも視線を逸らさなかったら、向こうも私を見ていた。まあ、それだけの話である。

シモン氏は、もう10年くらい前だろうか、紀伊国屋画廊で行われた彼の人形展でも見かけたことがある。その頃と、何も変わっていないような印象を受けた。
澁澤も、「永遠の美少年」のままで死んでしまったわけだが、もしも、80歳を迎えた今も生きていたら、やはり、若さを保ったままだったろうか。見てみたいような、見たくないような、複雑な気分である。それでも、平成の世を見ることなく、60歳を目の前にしてこの世を去ったのは、「澁澤龍彦」としては正解だったのかもしれない。

澁澤は、やはり、「昭和の子供」なのだ。
「平成」なんていう時代に生きる澁澤龍彦なんて想像できない。
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