アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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八木邸

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八木邸は、京都の目抜き通りとも言うべき四条通から数分ほど入った場所にある。今も、当時のままの姿をとどめているわけだが、当時、というのは、文久三年(1863年)、もちろん、ここで新選組の芹沢鴨が惨殺された時を指すに決まっている。

八木邸は、新選組の幹部たちの宿舎であったわけだが、その夜、芹沢は、島原での宴を終えて、愛妾・お梅や、芹沢一派の子分らと泥酔状態で眠っていた。そこを、同じ新選組の近藤一派、土方歳三、藤堂平助、沖田総司らに襲撃され、殺されたのである。粛清というやつだ。殺されたのは、芹沢の他には、お梅、平山五郎のふたり。一緒にいた平間重吉や、浅田次郎が小説「和違屋糸里」で描くことになる糸里、桔梗屋のお栄らは、一命をとりとめ、逃げ延びることになる。
近藤勇たちにとっては、芹沢一派は、いわば目の上のたんこぶ、この雨の夜、芹沢らを粛清したことにより、新選組は、近藤勇と土方歳三のコンビによって突き進むこととなる。新選組十大ニュースなどというものがあったら、この事件は、ベスト3に入るであろう。新選組初期の大事件である。

八木邸に着いたのは、午前9時前。
八木邸の周囲には、八木邸と並んで隊士たちが投宿していた前川邸がある。ここで、山南敬助が自害をする。山南が死の直前に幽閉されていた部屋の窓越しに、愛妾・明里と語り合った、その窓も現存しているらしいが、見学することはできない。その山南敬助の墓というものも、八木邸のはす向かい、大徳寺に存在している。

八木邸は、一般公開されている。しかも、解説つきである。私が着いた頃は、まだ誰も見学者がいなくて、ひとりきり、解説のおじさんと向かい合い、解説をしてもらう僥倖を得た。

「今、参りますので、座敷で待っていてください。」
そう言われて、座敷に上がる。実は、その部屋、芹沢鴨が寝泊りしていた部屋であった。「鴨の間」だったのだ。
部屋の前には縁側があり、庭がある。その夜、土方らは、庭から入り、この部屋に寝ていた芹沢を襲った。屏風越しに刀を突き刺したという。

おじさんの解説が始まった。毎日、何度も繰り返しているであろう解説は、なかなか名調子である。幕末の社会状況から、新選組の誕生まで、そしてもちろん、事件当夜の状況まで、わかりやすく簡潔に説明してくれる。それによれば、芹沢はこの部屋で襲われ、縁側伝いに隣の部屋へ逃げ込んだ。縁側とその部屋を分ける鴨居に残っているのが、かの有名な刀の痕である。芹沢を追って刀を振りかざした際につけられたものだと言われている。眺めてみると、確かに部屋全体は狭いし、鴨居も低い。こんな部屋でチャンバラをやるのは無理がある。当時の日本人の平均身長が今よりもずっと低かったとしても、日本刀を振り回すのは無理だろう。武器を持たないプロレスをやったとしても、空中殺法ができないような会場である。

鴨居のすぐ下、廊下と部屋の境あたりに文机があり、芹沢は、こいつにけつまづいたところをさらに斬られたとも伝えらている。とにかく、狭いのだ。しかも、おそらくは暗闇の中である。襲うほうも、襲われるほうも、相当に不自由な空間だったに違いない。
とにかく、ここで、土方歳三や沖田総司が暴れ、芹沢鴨が殺された。その歴史的な事実。

翌朝、芹沢らの遺体が発見され、下手人は長州の者たち、という筋書きが出来上がった。沖田は、何事もなかったように、八木家の子供たちと、庭で遊んでいたという。また、襲撃の際、芹沢が逃げ込んだ部屋に寝ていた八木家の三男が巻き添えを食って怪我をしてしまったことに対し、「気の毒なことをした」と気遣っていたのも沖田総司だった。あれほどひどい殺し方をしておいて、「気の毒」もないものだが、まあ、そのあたりのあっけらかんとしたところも、もしかしたら、天才剣士・沖田総司の魅力なのかもしれない。

今でも、夜ともなれば、芹沢鴨の鉄扇の音がビシッビシッと響く怪奇現象が起こる、か、どうかは知らないが、鴨の恨みたるや相当のものと想像できるわけで、それくらいのことが起きていたとしても不思議ではない。ちょっとこじゃれた日本家屋の旅館、っていうような再利用方法も考えられないではないが、宿泊するにはかなり勇気がいるであろう。
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八木邸での見学が終わると、同じ敷地内に作られた土産物屋で、お茶とお菓子がふるまわれる。この屋敷は、当時は、道場として使われていたものらしい。八木邸のすぐ近くには、新選組が軍事訓練をしていた壬生寺があり、隊士たちの墓もある。そのままさらに京都駅方面へ足を運ぶと、大所帯となった新選組が八木邸を出て屯所にしていた西本願寺や、和違屋などがある花街・島原がある。
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