アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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リラのホテル

隠れた名盤というのは、こういうものを指すのだと思う。

ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎のソロ第一作「リラのホテル」である。
1983年の作品だ。

ムーンライダーズの中でも、特に、ヨーロッパ趣味が強いのがかしぶち哲郎で、「かしぶちロマン」とでもいうべき独特の世界を作り続けてきたわけだが、その世界が見事に結晶したのが、この「リラのホテル」である。

矢野顕子をゲストに迎え、まるで古き良きヨーロッパ映画を見ているようなアルバムなのだ。凡百の作り手であれば、臭すぎて、決して描き切れないであろう歌詞とメロディー、それを、下手といえば下手、ヘタウマといえばヘタウマ、の、かしぶちのヴォーカルで、飾り気なしに歌われ、そこに、矢野顕子の表情豊かなヴォーカルがからんで、聴き手は、いつの間にか、パリの下町や、南イタリアあたりの路地に迷い込む。

1983年にこのアルバムを買った時は、当然ながらレコードだったが、もう、それこそ擦り切れるほど聴きこんだものだ。カセットにダビングし、大学のヨーロッパ研修にも持参した。朝、ホテルをぶらりと出て、パリの路地裏や、ワルシャワの街角を散歩した時、ウォークマンでこのアルバムを聴いていたものから、私の脳髄には、このアルバムは、もう、ヨーロッパの街々と分かちがたく結びついてしまった。

ヨーロッパ映画、と書いたけれど、実は、ここで描かれている世界は、存在するようで存在しないヨーロッパ映画のようなものである。かしぶちがかつて観たであろう、ヨーロッパ映画、かつて聴いて影響を受けたであろうクラシック音楽、こういったものが、ロマンティックに再構成されている。
だから、パリの下町なのか、南イタリアの路地なのか、いや、時代さえも、実はよくわからない。いや、当時、まだ共産国だったポーランドや、ソ連までごちゃまぜにされ、「ヨーロッパ」という架空の場所と時間が作り出されている。1983年当時だったら、「記号」としてのヨーロッパ、とか、そんな言い方をされていたかもしれない。

もしかしたら、かしぶちのそんな手法は、このアルバム発売の3年前に作られたムーンライダーズのアルバム「カメラ=万年筆」から受け継いだものかもしれない。実在するヨーロッパ映画のタイトルを借用し、映画とはまったく関係のない音楽を作ったのが、「カメラ=万年筆」だからだ。ある意味、抽象的な世界かもしれない。

ただ、「リラのホテル」の音楽は、決して抽象的ではない。
細部まで作りこまれた世界である。もしかしたら、フェリーニが「チネチッタ」に再現したローマのように、あるいは、ルネ・クレールが作り上げた架空のパリの下町のように、私たちをロマンティックな世界へと引きずり込んでやまない。実に映像的なのだ。
「屋根裏の二匹のねずみ」なんていう曲になると、矢野顕子とデュエットで、若い夫婦の小さな過ちが描かれ、何度聴いたかしれないのに、ついつい、その哀しくも美しいストーリーに耳を奪われてしまう。

アルバムのタイトルにもなっている「リラのホテル」は、一度だけ、ライブで聴いたことがある。もう、10年以上も前の話だが、日比谷野音でのムーンライダーズのライブで、かしぶちがギターの弾き語りをしてくれたのである。
初夏だったが、日が暮れかけたステージで、かしぶちが歌いだした。ふとステージの上に目をやると、日比谷の木々がざわざわと風に揺れていて、私は、一気に、自分が東京のど真ん中にいることを忘れてしまった。何とも気持ちの良い幸せな数分間だったことを今でも覚えている。

そんな「リラのホテル」だが、何しろ、レコードだったもので、10年以上聴いていなかったし、CDを買おうにも、CDショップでもお目にかかれなかったのだが、最近、Amazonで、CDを見つけて購入し、久々に聴くことができたのは嬉しかった。

実に30年も前の作品だが、少しも色あせていない。誰もが聴いた名盤ということにはならないだろうが、あくまでも隠れた名盤として、これからも聴き続けてゆきたい、大切なアルバムである。

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