アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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「新耳袋」の怖さ

あった、あった。
本屋で見つけて、今年も買ってしまった。
「新耳袋 第十夜」である。
シリーズが発刊されて、もう、十年近くたつ。毎年、夏に新しいものが出るから、それを待ち構えていたように買う。当然、全巻、十冊揃っている。
でも、悲しいことに、この「第十夜」で「完結」らしい。

「新耳袋」は、いわゆる怪談集で、この本が出てから沢山の類似本が発刊されたが、やはり、本家に勝るものはない。
この本が新鮮だった理由は、実話を、そのまま生の形で伝えている点にある。こんなことがありましたよ、と、生の体験をそのまま見せてくれるのだ。通俗的な怪談は、すぐに、「浮遊霊」だの「地縛霊」だの、祟りだの、実は、その場所は昔、墓場だった、だののオチがつく。オチからストーリーを逆算しているようなものもある。作っただろう、と、白けてしまうような話も多い。
しかし、実話というものの多くは、そんな単純なものではないのである。

「新耳袋」に採集された体験談は、あまりに、整理・分類がされていない。オチもないし、意味のまったくわからない話もある。笑ってしまうような話もある。しかし、だからこそ、怖い。その体験が、果たして心霊現象なのか、自然現象なのか、単なる偶然なのか、それとも、人間の仕業なのか、勘違いや幻覚なのか、何も答えが出ていないからこそ、怖い。話の行き着く先が見えないのである。
作り話では、こんな訳のわからない、意味のつかめない話は出てこないだろう、と思う。
誰しも、説明のつかない、不思議な体験のひとつやふたつはあるものだが、それが、巷にあふれる「心霊現象」のパターンに合わないから、と、そのまま、忘れ去ってしまっていることも多いと思う。しかし、実話というのは、意外と、素っ気なく、的外れなもので、こちらが期待するようなサービスはしてはくれないものなのだ。

ただただ、無意味な断片が、ごろ、ごろ、と、転がり出てくるようなもの。その断片こそが、現実というものの裂け目から、何かの拍子にふっと顔を出す異次元、超現実というものである。その断片をどう並べ替えても、現実的な解釈は出来ない。だからこそ、怖い。説明がつかないということは、人を不安にさせるのだ。
ところが、説明できる恐怖などというものは、まだまだ理性の範囲内であって、実は、それほど大したものではないのである。「地縛霊」だ「浮遊霊」だと言っても、結局、近所のおやじや、おばちゃんとどこが違うのだろう。

内田百の短編が恐ろしいのは、日常の中に、唐突に無意味が顔を出すからであり、「新耳袋」の恐ろしさは、それと似ている。居心地の悪さ、というのか。

この本を読んでいると、そういえば、あの時、あんなことがあったけど、あれは・・・と、ふと何かを思い出すことがある。私たちの日常には、考えている以上に、不思議の断片が転がっているのかもしれない。ただ、その断片を表現する言葉を持たないために、形にならず、そのまま忘れ去られてしまう。あるいは、強引に、「浮遊霊」だのの概念に結びつけ、体験の形そのものが歪められてしまう。
名前の誕生とは、同時に、曖昧な存在が排除されるということでもある。

説明のつかない出来事、現象、というものは、確かに、ある。
あとは、それを受け取る側に、相応の想像力があるか、ということなのかもしれない。



「現代百物語 新耳袋 第十夜」 木原浩勝・中山市朗著(メディアファクトリー)
「内田百集成1~24」 (ちくま文庫)
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Comment

魔羅一郎 says... "あやめもわかぬ闇夜に"
最終十夜、遂に出ましたか。
早速本屋に走ります。
本屋の客や店員が、皆ニタァと薄気味の悪い笑みを浮かべて、不審に思いつつも『新耳袋』を購入して店を出たら、お釣りが木の葉で、買ったばかりの本が犬の生首だったりしたら、どうしましょう。
いや、是非ともそんな経験をしてみたいです。
猫ヤンの仰る通り、陳腐な解釈なんぞに堕落しないところが、『新耳袋』の魅力ですね。怪談本は数あれども、良質なものは本当に少ないですから。その意味で、現代の俗悪な怪談の原型を成した、江戸時代の怪談本よりも、古の薫り高い『今昔物語』に似ている気がします。「こんなことがありました」と、さらりと、不思議であるだけの不思議を語る、それだけ。それが一番おそろしい。

・・・と、ここまで書いていたら、今、家の中でちょっと気味の悪い事が起きました。それについては、また改めて報告します。
2005.06.17 20:11 | URL | #- [edit]
猫目 says... "魔羅家の怪?"
魔羅っち、おはようございます。
魔羅家に何が起きたのですか?
百物語の怪異ですか?
気になります。

そのうち、花の都で貴兄と遭遇した怪異についても書いてみたいと思います。
2005.06.18 08:09 | URL | #GaU3vP2. [edit]
魔羅一郎 says... "禁忌・・・?"
大した話ではなりません。
有り体に言ってしまえば、ただの思い込みでしょう。
我が家には二年程まえから、近所の飼い猫が遊びに来ます。
大人しい猫で、大抵は五分から十分もすれば帰って行くのですが、冬は炬燵で昼寝をして、二時間も三時間も長居をする事もあります。
貴殿のページにコメントを書いている時にも、丁度猫が遊びに来ていました。階段でゴロニャンと寝そべっていたのに、いつの間にかパソコンを打つ私の背後に回り込んでいました。
私は、怪談と云えば矢張り「四谷のアレ」だな・・・と思い、それに関して、コメントに余話でも書き込もうとしていました。
そうしたら、なんだか急に猫が荒れはじめました。
甘えて撫でて欲しいのかと思い、手を伸ばしたら、いきなり引っ掻かれました。
猫が我が家に来る様になって、今まで一度も爪を立てた事なんてありませんでした。あまつさえ、座布団に噛みつき、激しく引っ掻いて、暴れ回るのです。
そんな姿を見たのは、初めての事でした。
兎に角、噛まれたら嫌だなと思い、一歩退いて様子を眺めました。
網戸を開け、追い出そうともしました。
追い出そうとすると、猫は目をかっと見開いて、人の顔をじっと見返しました。
まあ、恐怖感もあったので、きっと思い込みが激しくなってしまったのでしょう。どうした訳か、猫なのに、その顔が何故か、江戸時代の髪を結った女の顔に見えてくるのです。
これは錯覚に決まっている、そう思うも、見つめ合う猫は、目を逸らさず、そのうちに、どんどん目が大きくなって、くりくりっとまん丸に見開かれました。

「そんな筈は無い、慣れて大人しい猫と云っても、所詮は畜生、荒れる事もあるさ」と自分に言い聞かせるも、なんとも気味が悪いのです。
で、はたと思い当たり、もしやと、書き込もうとした、「四谷のアレ」の部分を削除したら、猫がふっと背を向けて、窓から出て行きました。
何だかなぁ・・・。

翌日遊びに来た時は、いつも通りの、大人しい猫でした。ニャアと鳴いては擦り寄り、寝そべったり、欠伸をしたり、のんびりくつろいでいました。前夜の凶暴な姿が、ウソの様です。
「四谷のアレ」に関しては、幾つか余話を知っていますし、言いたいこともあるのですが・・・迂闊に触れてはいけない、禁忌なのでしょうかねぇ。
2005.06.19 12:34 | URL | #- [edit]
猫目 says... "猫目?"
魔羅りん、おはようございます。
猫、ですか。英語で言うところの、A CAT、ですね。不気味な話です。
是非、「四谷のアレ」について、どんどん書いてください。魔羅家がどうなろうと、私には、おそらく、関係ないと思います。

禁忌とは、破るためにある。
今こそ、勇気を出して、禁忌破りへの第一歩を踏み出そうではありませんか。
2005.06.20 08:17 | URL | #GaU3vP2. [edit]

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