アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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澁澤龍彦の「オリジナリティ」

前回、澁澤龍彦のことについて、ちょっと触れたので、もう少し。

ご多分にもれず、私も、澁澤龍彦に夢中になった口である。
魔術、幻想文学、サド、シュルレアリスム・・・澁澤龍彦によって開かれた世界は、沢山ある。

何故か、批判の少ない人なのだが、その少ない批判のひとつとして、まだまだ情報量の少ない時代、原書も手に入りにくい時代だったから、「博覧強記」というイメージで、読者を煙に巻けたのだ、という指摘がある。浅田彰も、そんなことを書いていたように思う。

確かに、当時の私たちが思っていたほど、澁澤龍彦は、珍書・奇書の類を収集していたわけでもない。彼の書斎を眺めてみると、原書とは言っても、一次文献というよりも、二次文献が多いことがわかる。意外と、普通の本を読んでいたんだな、というのが実感。
学問的な戦略性を考えれば、澁澤と並び称されたドイツ文学者の種村季弘の方が上手であるようにも思えるし、魔術などに関する知識であれば、荒俣宏の方が深く、実際、蔵書家としての質も上、という気がするのも事実である。

フランスにいた頃、サドを特集した文芸誌を読んでいた。すると、論文のひとつが、どこかで読んだような文章なのだ。あれ、と思って、確認してみたら、何のことはない、澁澤龍彦が、サドに関して書いたエッセイそのままであった。その内容が、というのではない、澁澤の文章は、少なくとも途中まで、ほとんどその論文を翻訳しただけの文章なのだ。
この論文については、私の知る限り、まだ誰も指摘していないと思う。
もっとも、この手の「原典」は、これだけではなく、意外と多いのかもしれないが。

これを、剽窃と呼びたければ呼べばいい。確かに、あまりにひねりのない行為ではあるし、原稿の締め切りが迫っていたのかな、他に題材がなかったのかな、と、正直なところ、思えなくもない。
ただ、この事実は、一方で、澁澤龍彦という作家の本質を表すものであるとも思うのだ。

澁澤龍彦という人は不思議な人で、オリジナリティなどという神話を一切信じていないように思える。自己表現などという青臭い、近代的産物には目もくれなかった。それを、前近代的と呼ぶか、あるいは、ポストモダンと呼ぶか、それは、様々だろう。

80年代、「ポストモダン」というタームが大流行していた頃、「ポストモダンなんて言うけど、そんなこと、とっくに、澁澤がやっていたんだよなあ。」と、四方田犬彦が洩らしていたそうだ。

澁澤龍彦には、自己表現、自己主張がない。
極端な話、書く内容は、どうでもいいのだ。内容というもの自体に興味がないようにも思える。では、どうするのか。すでに、存在している古今東西の文章を集めてくる。そして、それを、スタイリッシュに編集してから、改めて形にする。寄せ集め、パッチワークである。
だから、他人の研究成果である論文をそのまま引き写しする、ということにも抵抗がない。
無頓着なのだ。

もうひとつ。翻訳しただけ、と書いたが、実は、その言い方もちょっと違うような気もする。澁澤龍彦が一番好きだったのが、翻訳である、ということ。言葉を当てはめてゆく翻訳という作業を、パズルのように楽しんでやっていた節がある。すでに形として存在している原作を日本語に移し替える翻訳。
実際、初期の小説「犬狼都市」は、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの「ダイアモンド」を下敷きにしている。これだって、本人がそのへんに無頓着なのだから、仕方がない。「ダイアモンド」という、オブジェのような作品を、日本語で書き直す、という作業自体に興味があったに違いないのだ。翻訳なのか、翻案なのか、どちらでもいい、ということである。
大切なのは、外観、入れ物、容器であって、その中身ではない。
中身には興味がない。でも、箱が欲しいから買う、そういう気持ちと似ている。

かっこいい文章が書きたいな、でも、書くことがないな、おお、そうだ、これを使おう、っていうところか。

知識欲に突き動かされて学問を探求する学者でもないし、湧き上がる表現欲を抑えきれないような芸術家でもない。すでに存在し、形になっている観念を探し出しては、並べ替えてみたり、削ってみたり、足してみたり。ここで「観念」というのは、生々しい難解な思想なんかではなく、あくまでも、形象化されたものである。
大事なのは、形なのだ。


魔術に関するエッセイや、サドに関する評論にも、もちろん熱中したが、私が一番好きな作品は、晩年の「フローラ逍遥」。花に関するエッセイ集である。例によって古今東西の文献や観念の形を引用しつつも、植物に対する静かな愛情が垣間見られる。何よりも、いつにもましてのびのびとした文章が平易で美しいのである。まさに、文章そのものが、花のようであり、しなやかに茎を伸ばしているようだ。実は、私は花にはあまり興味はないのだが、ついつい、うっとりと眺め、読み入ってしまう本である。
図譜も素晴らしい。



「フローラ逍遥」澁澤龍彦著 (平凡社ライブラリー)
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Comment

魔羅一郎 says... "渋澤嫌い"
猫にヤン、今晩は。渋澤に関しては、どうしても、猫ヤンと意見の合わないものですね。
例えば、妻なり恋人なりが、子供を産んだとします。そして、その子が、どこぞの見知らぬ男の胤だったと判明したら、それでも、「可愛いから、いいや」と許せるものなのでしょうか。
渋澤の「剽窃」に対して、寛容な気持ちを抱けない私は、どうしてもそう考えてしまうのです。
渋澤への敬意の八割は、あの時代に、入手など不可能と思える、もの凄い文献を蒐集し、読み解く偉人への尊崇だったと思います。
それが、ただ他人の書いた本からの引用に過ぎず、結局、フランス語の本を自分で読めるようになった時、渋澤の偉業が、ただのセコい盗作に過ぎなかったと気付いた時の失望は、矢張り否めません。
渋澤の価値が、猫ヤンの仰る通り、器の形にあるのなら、せめて、「一次文献を所有し、読み解いた」と云うポーズは止めて欲しかったです。
渋澤自身、自分への敬意が、そこに根ざしている事を充分に承知していたことは確かでしょう。それななのに、知っていながら、その事を否定せず、いえ、むしろ世間の誤解を積極的に利用していたと思われる節があります。
その点だけでも、渋澤は軽蔑に値する俗物であったと、非難されても仕方は無いでしょう。世俗を超越したポーズを取りながら、渋澤自身が、もの凄く俗物的だった、と。
まあ、確かに私も渋澤の本を耽読し、随分と堪能したものです。
だから、逆に、何だかとても、渋澤の胡散臭い部分が、不愉快で仕方ないのです。
2005.06.25 00:45 | URL | #- [edit]
猫目 says... "澁澤はお嫌い?"
魔羅っぴ、こんばんは。

そうでしたね。貴兄とは、昔から、澁澤について意見が合わないのでした。
子供の例えは言い得て妙ですね。ある意味、近親憎悪みたいな部分もあるのでしょう。貴兄の怒りも、もっともなことであると思います。正直なところ、あそこまで行くと、誰が何と言おうと剽窃でしょうし。

ただ、不思議と、私に関して言えば、その点、騙された、という失望感はそれほど沸かないのです。おそらく、澁澤に対する見方に違いがあるのだと思いす。
しょうがねえなあ、という気はしますけど・・・。
2005.06.25 20:36 | URL | #GaU3vP2. [edit]
魔羅一郎 says... "・・・と云いつつ"
でも、本当の事を云えば、渋澤先生、矢っ張り大好きなんですけどね。
好きだから、文句が出る。
だって、何と云っても、問答無用に、彼のエッセイは面白いですからね。
あれほど見事な日本語を書ける人って、他に見当たらないですし。
でも、素直じゃないオヤジは、ちと恥ずかしくて、ついつい渋澤嫌いを気取ってしまうのです。
悪しからず。
2005.06.25 23:10 | URL | #- [edit]
魔羅一郎 says... "序でに"
リクエストですが、今度、お暇な折りにでも、ワインの事を書いて下さい。
最近、日常的に飲める、500円前後のデイリーワインで、旨いヤツを捜しています。
VdPの割に、ヒュー・ジョンソンなんかも絶賛してる、妙に評価の高いFortan de France(これは700円くらいですかねぇ)みたいな、安ワインのクセに味わい深い物を教えて欲しいのです。
私の好みは、あのChasse Spleenのスタッフが作ったと云う、Marquis de Chasseみたいな、しっかりしたボディを持ちながら、1000円弱で味わえるお買い得のボルドー物です。
いや、本当はブルゴーニュが好きなのですけれど、暑い季節は何故か、がっちりとタンニンが利いた、ボルドーの深紅の赤がワインが飲みたくなります。
焼酎ブームの今、そんなものには目もくれず、仏国かぶれの意地を発揮して、ワイン道楽に現を抜かしたいものです。
飲みっぷりの見事さでは、とても貴殿には叶いません。どうか、御教授頂ければ幸いに存じます。
一流、高級ワインなんてものは、金さえ出せば、誰でも簡単に楽しめますが、安くて美味しいワインを探し出すのは、それこそ知識と経験の賜でしょう。
宜しくお願いします。
2005.06.26 00:48 | URL | #- [edit]
猫目 says... "天邪鬼なんだから・・・。"
魔羅まら、おはようございます。

これだから、天邪鬼は困ります。
そうそう、でも、最後には、「実は・・・」って、澁澤を読んでいることを告白するんですよね。だから、やっぱり、近親憎悪。
確かに、あの日本語は魅力です。

ワイン。
安ワインのことなら、いくらでも語りましょう。高級ワインのことは、妄想でしか語れませんが・・・。
2005.06.27 08:06 | URL | #GaU3vP2. [edit]
めりの says... ""
はじめまして。
お友達のお姉さまが詳しいのですが、私はたくさん読んでいません・・・。ですが「フローラ逍遥」と「犬狼都市(キュノポリス)」は大好きです。
2005.09.20 19:22 | URL | #DLQ5tap6 [edit]
猫目 says... ""
めりのさん、はじめまして。
「フローラ逍遥」を読まれているのですね。
すばらしい!
「犬狼都市」とでは、随分とギャップがあったのではないですか・・・?

お友達のお姉様に、是非、よろしくお伝えください。
2005.09.21 08:06 | URL | #GaU3vP2. [edit]
R says... "はじめまして。"
おっしゃっている浅田の指摘は島田雅彦との対談本での発言ですね。
サドの論文のことは初耳で気になります。
TBさせていただきました。
2005.10.04 03:07 | URL | #VWFaYlLU [edit]
猫目 says... "そうです。"
R様、はじめまして。
そうです、その本です。

澁澤、お好きのようですね。
論文ですが、きっと、他にも同じような例があるのではないかと推測しています。
まあ、それについては、みなさん、それぞれ、意見がおありのことと思いますが・・・。

どうぞ、またお寄りください。
2005.10.04 19:24 | URL | #GaU3vP2. [edit]
idealistk says... "猫目様 Have a nice week end?"
猫目様 こんばんは
今年もよろしく御願いいたします。澁澤つながりでトラックバックさせていただきました。

大江健三郎の描く「ミシマ=フォン・ゾーン計画」。猫目様はどう思われますか? そんなふうに「救出」されても、三島氏は感謝するかどうか・・・。
2006.01.21 19:29 | URL | #- [edit]
猫目 says... "「ミシマ=フォン・ゾーン計画」?"
idealistk様、今年もよろしくお願いいたします。

大江健三郎の描く「ミシマ=フォン・ゾーン計画」というもの、恥ずかしながら、idealistk様のブログで、初めて知った次第です。
虚構なのか、どうなのか、読んでいないのでどうにもわかりません。実は、大江健三郎は、もう長いこと、読んでいません。でも、「ミシマ=フォン・ゾーン計画」、面白そうなので、覗いてみようかと思います。
2006.01.24 16:00 | URL | #- [edit]

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