アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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新選組!

赤羽から埼京線に乗った。
北池袋に用事があったのだが、地図を見てみると、板橋駅からでもそう遠くないことがわかって下車してみた。この付近、滝野川は、確か、澁澤龍彦が幼少期を過ごした土地だということを思い出したからだ。

ところが、である。
駅を出ると、まず飛びこんできたのは、「近藤勇の墓」という看板。駅の真正面にあるらしい。
歴史上の人物の常として、近藤勇の墓もいくつかあるようだが、処刑されたのは、板橋刑場。つまり、この場所なのである。その後、首だけ、京の三条河原に晒されたという。
昨年放送されていた大河ドラマ「新選組!」のクライマックス、勇役の香取慎吾君が首を斬られる場面を思い出した。あれが板橋刑場である。

細長くそびえる墓碑には、近藤勇と並んで、土方歳三の名前も彫られ、側面には、新選組隊士たちの名前。雨風に晒されて、文字が消えかけ、ほとんど読解は不可能であるが、それでも、お馴染みの隊士たちの名前を確認できる。ちょっとばかり興奮した。

この墓、明治になって、盟友・永倉新八が作ったものだそうである。永倉は、新選組を離脱し、明治時代まで生き延びる。神道無念流の達人、新選組二番隊隊長にして、新選組最強の剣客と言われ、何十人と斬ってきただろうこの男は、維新後、北海道樺戸集治監など、各地で剣術師範をしていたという。年老いても、とにかく、滅法強かったそうである。そりゃそうだろう、修羅場をくぐった経験が違う。

永倉を主人公にした、池波正太郎の「幕末新選組」は、その生涯を、維新以後まで追いかけた長編だ。
大河ドラマでは、ぐっさんこと山口智充が好演していたけれど、実際は、思慮深い男ではなく、「ガム新」、ガムシャラの新八、と言われるほど気性の激しい、そして、お調子者だったらしい。そのへんが、また、永倉新八の魅力でもある。

永倉は、晩年になって新選組時代を振り返り、「新選組顛末記」を書いた。これは、新選組の中枢人物による、新選組研究の第一級資料である。何しろ、当時者。池田屋事件や、伊東甲子太郎暗殺の経緯など、生々しい報告に満ちている。
しかし、永倉新八が、とんでもないイカサマ野郎だったらどうするんだ?という意見を読んだ時には笑ってしまったけれど・・・。

一度は袂を分かった新選組、当時は、賊軍として扱われた。永倉も、一時は、その過去から逃げようとしていたのだろうか。それが、いつの間にか、当時のことを回想できるだけの年齢になった。さらには、近藤や土方の墓まで作ってしまったのである。
まるで、例の大河ドラマの主題歌みたいな、ちょっといい話、ではないか。
ああ、そうか。近藤勇も、土方歳三も、沖田総司も、山南敬助も、試衛館時代の盟友はみないなくなった。残ったのは、斉藤一、原田左之助、永倉の3人くらい。ということは、あの歌は、この3人の誰かが歌っているものなのかもしれない。

澁澤龍彦が目的で駅を降りたのに、結局、そのことはすっかり忘れてしまった。もっとも、家に戻って調べてみたら、滝野川とひとくちで言っても広くて、澁澤が住んでいたのは、今の中里一丁目、つまり、駒込駅の付近だったらしい。

とにかく、私は、去りがたい思いで、近藤勇の墓の付近をうろうろしてみた。
そして、細い路地を迷いながら、北池袋へと歩く。随分と古い家並みが並んでいて、昭和を彷彿とさせる懐かしい風景だ。カメラを持ってこなかったことを後悔したほどである。

もう一度、カメラを持って、改めて、この界隈を歩いてみたいと思う。



「新選組顛末記」永倉新八著 (新人物往来社)
「幕末新選組」池波正太郎著 (文春文庫)
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Comment

魔羅一郎 says... "男の世界"
今日は「とんだ台風野郎」の中吉です。
埼京線は、日本一痴漢の多い電車だそうですが、猫ヤンに限って、間違いは無かったと信じています。

まあ、それは兎も角、NHKブックスから出ている『身体感覚を取り戻す』(斎藤孝著)を読んで以来、何と云いましょうか、日本的、或いはアジア的な美の本質に興味を持っています。この本では、足、腰のどっしり座った「自然体」に言及し、西洋的美的感覚が蔓延する中で、忘れられた日本人の美しさを再評価する試みがなされています。
新撰組はもとより、幕末志士、或いは明治、大正、昭和初期の写真に残る日本人の姿を眺めると、ただのアナクロニズムや、郷愁的な懐古趣味を超える、現代の我々とは身体の修練が根本的に異なる、完成された肉体の美を垣間見る思いがします。
新撰組、幕末の志士達に共通して見られる、背筋の通るシャキッとした凛々しさ、胴長短足の厚ぼったい身体が、けれど、高速回転しながら微動だにしない独楽の様な、弛まぬ緊迫感を秘めています。日々の生活と云う鍛錬の中で、臍下丹田をじっくり練り上げた気迫が滲み出ています。
猫ヤンに感化されたせいで、格闘技なんぞをテレビで楽しむ私でありますが、どうも、最近の格闘家の肉体と云うヤツが、余り美しく感じられません。伝説の塩田剛造(彼が本当に強いのかどうかは、別として)が持っていた様な、威厳が感じられないのです。
確かに現代ではスポーツの科学的なトレーニングが発達し、隆々とした肉体は筋肉の鎧で固められ、一見強そうに見えます。威風堂々とした体躯を誇っています。でも、力みの無い脱力の裏に、神秘的なまでの気骨を漲らせた、古風な柔術家の持つ、朴訥な強さと自然な誇りが見受けられません。
なにげに、カメハメ波を放って敵を一瞬にして威圧してしまう、卓抜した闘士の技量を、誇示することなく身につけた達人の姿・・・。
もしも、なんて空想は馬鹿げているでしょうけれど、K-1やプライドのファイター達が、幕末の剣士や、昔の柔術の達人と闘ったら、どうなるのでしょうね。
ルールの問題もありますが、恐らくは、現代のファイター達の方が技術に勝り、呆気なく昔の人をノックアウトしてしまいそうです。
でも、例えば一日40kmの距離を歩き、一週間過酷な徒歩の旅を続けた後で、闘ったとしたら、どうなるでしょう。どうも、昔の達人に分がある気がします。そこに、今と昔の足腰の差を見て取るのは、間違いでしょうか。
纏まりの無い乱文で申し訳ありません。
猫ヤンの新撰組随想を一読させて頂いて、ふと、空想を逞しくしてしまいました。机上の空論派の私が、格闘技云々も、烏滸がましい限りですが。
2005.06.27 12:38 | URL | #- [edit]
猫目 says... "格闘技の彼方"
魔羅りーの、おはようございます。

昨日はワイン、今日は格闘技ですか?
リクエストにもほどがあります。
貴兄の疑問そのままのテーマではないかもしれませんが、近々、書いてみたいと思います。

でも、斎藤孝って、どうも虫が好きません。これは、近親憎悪ではありません(笑)。
2005.06.28 08:08 | URL | #GaU3vP2. [edit]

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