アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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新選組!私は誰だ?

新選組は、青春の匂いがする。
青臭くて、情熱が先走っている。何よりも、若気の至り、という言葉が似合う。いや、実際にどうだったのか、という話はまた別である。ただ、そんなイメージを投影できるから、新選組には根強い人気があるのだと思う。

弟と新選組について話をしていた。弟は、ある種の思想的な運動を続けてきて、当然、その過程で、組織の発展と解消、みたいなことをいくつか繰り返してきたわけだ。
弟は、そんな過去を、新選組とだぶらせて語った。
本人が大風呂敷を広げるには、「俺は、山南敬助だった。」と。

山南敬助は、近藤勇たちがまだ江戸でくすぶっていた頃からの同士で、北辰一刀流の免許皆伝の腕前でありながら、一級のインテリとして時代を読み、新選組の思想的リーダーとして活躍した。切腹という悲劇的な最期を遂げるわけだが、まあ、弟にそういうことはなかったとしても、自分を山南に重ね合わせたりするらしい。

実は、人の集まりのあるところ、多かれ少なかれ、新選組的な盛衰がある。
リーダーの近藤勇、ナンバー2の策士・土方歳三、豪放磊落が仇となり粛清される芹沢鴨、ノンボリながら滅法腕の立つ沖田総司、人柄の良い井上源三郎、ミステリスな斎藤一、お調子者の永倉新八、外からやってきたエリート・伊東甲子太郎、といった具合に、どこの集団にも、このような役回りをする人がいるものだ。もちろん、組織の外部にも、怪人・清河八郎みたいな輩がいたりする。

何も、政治組織などに限ったことではない。会社でもいいし、大学のサークルでもいい、ママさんバレーのチームだって、そうだろう。特にママさんバレーには、粛清のひとつやふたつは、ありそうである。もっとも、芹沢鴨のようなママ、というのも、ちょっと嫌だが。

ある共通した目的を持った人間が集まった時、その発展から解消への道筋というのは、昔から大して変わらない、ということなのかもしれない。
新選組がそのモデルを作った、ということではなく、新選組もその構造主義的なモデルのひとつに過ぎない。
ただ、あまりに、キャラクターが立ちすぎている。だから、わかりやすい。

思い起こしてみれば、ああ、あの時の誰彼は近藤だった、俺は芹沢だな、というように、思い当たる節が必ずある。私は、山崎蒸、いや、ぼくは、池田小三郎だ・・え、誰、それ?っていうようなマニアックな投影も可能である。
大河ドラマの影響もあるだろうし、きっと、そんなプレイを楽しんでいる人たちもいるはず。

私などは、沖田総司になりたい気もするが、なりたい気がするだけで、どうも自信はない。
弟には、「兄貴たちは、結局、多摩に残って京へ上らなかった新選組だ。」と喝破されてしまった。
それじゃあ、新選組ですらないではないか。単なる田舎侍である。

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