アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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ぼくの夏休み

何年か前の夏に、「ぼくの夏休み」という、プレイステーションのソフトを買ってきたことがある。テレビゲームというのは、ほとんどやらないのだが、これは、ついつい手が出てしまった。
そして、家族が寝静まるのを待ってから、おもむろにソフトをセットし、毎晩、バーチャルな夏休みを愉しんだ。

内容はこうである。
昭和50年頃の夏休み、母親の出産のため、田舎の親戚の家に預けられた主人公の少年。毎日が冒険の一ヶ月である。朝、鶏の声と共に目が覚め、昼間は野山を駆けて虫を採り、未知の場所を冒険し、夜は、親戚の一家と会話を交わし、そんな1日が30分ほどで終わる。徐々に明らかになってゆく親戚の家の秘密など、まさに、主人公になって、懐かしい、田舎の夏休みを体験したわけだ。

夏休みというのは、甘酸っぱいものだ。夏休みが近づくのを指折り数えて待っていたのは、もちろん私だけではないだろう。
蝉の声、アイスキャンディ、氷の音、扇風機、蚊取り線香の匂い、学校の水泳教室、プールの匂い、午前中の宿題、昼寝、花火・・・。
都会にいても、これだけの愉しみがある。
まして、田舎の親戚の家になど遊びに行くとなったら、それは、もう、冒険の連続である。まさに、「ぼくの夏休み」そのものの毎日が待っている。
海の照り返し、潮の香り、都会では見られない逞しい少年たち、かぶと虫、川遊び、古い日本家屋の広さ、蚊帳の珍しさ・・・。

夏休みは、甘酸っぱさに加え、今では懐かしく思い返すものとなった。
「ぼくの夏休み」というソフトの内容、もしかしたら、あんな体験、実は一度もしていないかもしれない。これが夏休みの、そして、少年期特有の記憶というもので、当時の記憶というもの、実際にその体験をしたか否か、ということはあまり重要ではなくなっているような気がするのだ。誰かの体験でもいい、知らない人の冒険でもいい、夏休みの記憶は、すべてを包んで、一種の集団的な記憶となっている。交換可能な記憶である。だから、懐かしい。

わずか数日間であっても、少年たちが急に成長する瞬間がある。そう、スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」の、少年たちの冒険がそうだろう。
昨日まで見えていた風景が急に小さく見えるようになったり、違うものに見えてしまうという体験。夏休みはそんな魔法に満ちているのである。だからこそ、20年、30年たって、懐かしく、甘酸っぱく思い出すのだ。

「ぼくの夏休み」は、途中で子供たちに見つかり、大切に書き換えていったメモリも、すべて台無しにされてしまった。だから、実は、夏休みの最後まで到達していない。親戚の家の秘密も、秘密のままである。
でも、その親戚の秘密とやら、私は何だか知っているような気もする。すでに、私の懐かしい記憶の一部となってしまったのかもしれない。

「バカンス」っていう響きも悪くないが、やっぱり、「夏休み」だな、そう思う今日この頃である。

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Comment

まいち says... "ご挨拶"
先日はバトンをありがとうございました。
退廃的な文化の香りただよう男の世界に竦みあがっておりましたが、やっぱりご挨拶しなければならないでしょう。
バトンはまだ当方でジャグリング状態でございます。
ぜひ、渡したい方はいるのですが、ちょっと恐れ多くて逡巡しています。

『夏休み』という言葉にはなにか切ない郷愁を感じますね。
陽水の『少年時代』のようなイメージがあります。
息詰まるような草いきれと夕立、蛍の淡い光・・・
お互いせせこましい都会育ちなだけに憧れなのかもしれませんね。
2005.07.11 17:58 | URL | #Z10UEaqA [edit]
猫目 says... "私の心は夏模様。"
まいちさん、むせ返るような男の世界へようこそ。

夏になると、つい、「少年時代」を口ずさんでしまう、という友人がいます。
いいですね、夏休み。
でも、もう、永遠に夏休みは戻ってこないんです。それが悲しい。思い出の中に生きるしかないのです。

暑い夏が始まりました。
今後とも、よろしくお願いします。

2005.07.12 08:08 | URL | #GaU3vP2. [edit]

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