アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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お盆だから「東京物語」でも観よう

夏休みになると観たくなるのが、小津安二郎の「東京物語」である。妻や子供たちが帰省し、静かになった部屋で、ひとり、ビデオをセットする。

おなじみの斉藤高順のテーマが流れ、「東京物語」のタイトルが出てくると、もう何度観たかわからないほどなのに、嬉しくなってくる。2時間あまりの、夏の楽しみである。

「東京物語」に限らず、小津作品の良いところは、ストーリーがあるようでない、ということだろう。どの作品を見ても、同じような家族構成、人間関係、役者、そして、ストーリー、言いかえればワンパターンで、作品を混同してしまうことも珍しくない。一種の変奏曲のようなものだ。だからこそ、繰り返しの鑑賞にも飽きることがない。

映画にストーリーがないとすると、何を楽しむのか。小津作品の魅力のひとつは、登場人物たちの台詞回しにあると思う。橋田寿賀子みたいに、説明的な台詞を過剰に語らせるような野暮な真似はしない。本当に他愛のない、それでいて、耳に心地良い台詞の応酬。決して上流階級の言葉遣いではない、といって、野卑でもない。昭和の、最も幸せな時代の中流階級の、ユーモアに満ちた上品な会話である。まるで音楽を聴いているような美しさがある。
原節子の憂いに満ちた声に、笠智衆のゆったりとした言い回し、杉村春子の勢いのある台詞。緩急が見事につけられている。まさに室内楽である。

周防正行が、小津の遺作「秋刀魚の味」の、男たちの会話を、ずうっと聴いていたい、と語っていた。中村伸郎、佐分利信、北龍二らが延々と続ける馬鹿話である。とてもよくわかる。ストーリー上の意味があるわけではない。ただただ、酒を酌み交わしているシーンが、作品中に何度も登場するのだ。まるで吉田健一の小説のようだ。
私は、彼らの恩師・東野英治郎が、鱧を食べながら、「魚偏に豊と書いて、鱧・・・」と言う台詞が好きでたまらない。水戸黄門、絶妙の演技なのである。

小津の良さのもうひとつは、細部にまでこだわった、完璧な構図。
時には、前後のシーンで辻褄が合わなくなることもあるが、そんなことより、小津は絵画的な構図を重要視した。だから、動く絵画を見ているような印象を受ける。どのシーンを切り取っても、一幅の絵画になるのである。

そして、美しいと言えば、やはり、原節子。
原節子と小津は、プラトニックな恋愛関係にあったというが、小津の視線を見る限り、それもうなづけるような気がする。特に、映画のクライマックス、舅の笠智衆との有名なシーン。「あんたは、ええ人じゃよ。」という笠の言葉を真っ向から否定し、「私、ずるいんです・・。」と言って顔を伏せるのだが、会話は、性的なニュアンスさえ匂わせているから、原節子の美しさは、この時、凄絶なものとなる。カメラ越しに、小津は何を感じていたのだろう。

映画は、ファーストシーンと同じく、笠智衆と、近所の主婦との何でもない会話で終わる。二人とも棒読みの台詞で、決して上手なものではない。しかし、何があろうと淡々と過ぎてゆく日常というものを見事に表したリフレインだと思う。フィルムの最初と最後が、まるで洗濯バサミでつまんだようにひとつに重なり、東京への旅で起きたことは、括弧でくくられてしまっているのだ。
どれも似ている小津映画も同じだ。どこを切っても同じ。わずかな変奏を繰り返しながら、淡々と過ぎてゆく。内容など、括弧にくくられてしまい、それほど重要なことではなくなる。
これは、小津の世界観なのだろうか。
まさに、「お盆映画」、夏休みに観るにはふさわしい。


台詞、構図、原節子。
美しいものが三つ揃った「東京物語」である。
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