アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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つげ義春と温泉

夏休みもそろそろ終わりである。
当たり前だが、夏が終われば秋である。
秋といえば、温泉だ。そうだ、温泉に行ってみたい。

温泉というと、私は、どうしたって、つげ義春の漫画を思い出さずにはいられない。
つげ義春の漫画が大好きで、特に、温泉ものは、何度も何度も読み返している。

「ゲンセンカン主人」とか「長八の宿」、「義男の青春」とか「庶民御宿」、あの手の作品に出てくるような鄙びた温泉宿、湯治場に行ってみたい、と、いつも思っているのだが、なかなか、そうはいかず、実際には、「○○温泉ホテル」みたいな場所に落ち着いてしまう。家族がいるから仕方がないのである。まさか、ゲンセンカンの女将がいるようなところへ、子供を連れて行くわけにもいかないし、「義男の青春」に出てきた仲居さんとアヴァンチュールを楽しむわけにもいかないだろう。ゲームコーナーや、スパ施設があるような、それなりのホテルになってしまうのは、ちょっと淋しい気もする。もっとも、最近では、つげ義春描くところの温泉宿というものも、なかなか見つけられなくなっているに違いない。

それにしても、つげ義春描く温泉の何と魅力的なことか。
力が抜けていて、それでいて官能的。
温泉という微妙に非日常的な空間の細部まできっちりと描写されているから、いてもたってもいられなくなるくらい、旅情がかきたてられる。宿の女将などをめぐる情事の、まるで地を這うようなエロティシズム。つげのエロスは、多分に、激しい後ろめたさを秘めているように思う。どうしようもなく人間的で、猥雑で哀しい。

本当に、舌なめずりするように読んでいるのである。

つげ義春というと、どうしても、「ねじ式」という問題作が目立ってしまう。漫画の芸術論争まで巻き起こしたこの作品、確かに、シュルレアリスム的な傑作だと思うが、実は、つげの本質とは異なっている。つげが述懐するように、この作品、単純に、見た夢をそのまま描いたら、時代の熱気にあおられて過大評価されてしまったとしか思えない。「ねじ式」は、つげ作品としては、むしろ突然変異である。決して、代表作ではないのだ。

そうだ、温泉に行ってみたい。
うるさい街を離れて、逃げるように山奥に分け入り、壊れかけたような温泉宿に泊まり、何もせず、日がな一日、お湯に浸かり、昼寝をし、酒を飲み、その繰り返し。
混浴と言ったって、若い女の子が入ってくるなどという事態は万が一にでも起こり得ないような場所である。地元のおばちゃんや、湯治のおばあちゃんくらいが関の山。
それでいい。
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