アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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最強なり、ブルース・リー

ブルース・リーを初めて目にした時の衝撃、それは、何かと比べようと思っても、おいそれと比べられるものではない。ユリ・ゲラーが初来日した時、オリバー君が来日した時、宇宙人の解剖フィルムを目にした時・・・いや、そんな事件と比較するのはやめよう。

強すぎる。速すぎる。そして、カッコ良すぎる。三拍子そろっていたのがブルース・リーだ。

しかし、ブルース・リーを知った時、彼は、もうこの世にはいなかった。それが、また尋常ではない。当時、梶原一騎原作「空手バカ一代」も連載されており、極真空手の人気も急上昇中、私たちは、何かと、超人・大山倍達とブルース・リーを比較したものだ。もちろん、最強論争である。ところが、私たちの出した結論は意外なものだった。

「ブルース・リーは死んだし、大山は年だし、今、一番強いのは、やっぱり、倉田じゃねえか?」

倉田、と聞いて、倉田まり子の名前を思い浮かべることができる人が何人いよう。そう、「投資ジャーナル」事件で有名となったアイドル倉田まり子。ところが、残念なことに、この場合の「倉田」は、倉田保昭を指している。
倉田保昭。
「帰ってきたドラゴン」で、ブルース・リャンと死闘を繰り広げ、テレビドラマ「闘え!ドラゴン」で、少年たちのハートをつかみ、「Gメン’75」では、その名も「ドラゴン」と呼ばれる刑事を演じた、今も現役のアクション・スターである。ブルース・リーにヌンチャクを教えたのは俺だ、と言い張っているが、真偽のほどは定かではない。アントニオ猪木や馬場さんならともかく、この倉田が、世界最強の男だと思っていたのである。PRIDEやK1誕生に先立つこと20年以上も前、牧歌的な時代があったのだ。

しかし、今は、倉田の話をしているのではない。
ブルース・リーに憧れて、私たちは、教室で、路上で、家の中で、「アチャー!」と叫びながら、日々、闘いを繰り広げていた。一度、私のハイキックがクラスメイトの頬をかすり、まるでブルース・リーが「燃えよ!ドラゴン」で見せたような血が流れたことがあった。我ながら、そのキックの鋭さに驚いたものだが、今にしてみれば、相手の顔のあたりまで足が上がっていたということに、改めて驚く。ここ数年は、ローキック専門の私である。

倉田が伝授したと主張するヌンチャク。一部では「ノンチャク」と発音している子供もいたが、これも自家製でいくつも作ったものだ。より実戦的なヌンチャクを求める者は、台所のスリコギを利用して、器用に鎖をつけ、殺傷能力の高いものを作り上げていた。しかし、我が家の台所にはスリコギが一本しかなく、私は実戦的ヌンチャクを諦めた。スリコギが一本しかない、考えてみれば当然のことである。ヌンチャクのために、もう一本、スリコギを買い足す母親がどこにいよう。
そこで、私は殺傷能力の低いヌンチャクを製造した。新聞紙を丸めて、ガムテープで固め、紐でつなげる。しかし、これは、振りまわしているうちにガムテープが緩み、紐が切れて、飛んでいってしまうことが多かった。ヌンチャク攻撃を予想している相手には効果的な不意打ちとはなったが、普段、家の中で行なう練習では、危なくて仕方がない。

学校では、ヌンチャク持ちこみ禁止となった。コックリさんとヌンチャクは、校内ご法度だったのだ。だからだろうか、学校が終わると、下級生に因縁をつけては、懐に隠し持ったヌンチャクをちらつかせて脅す輩が横行した。だが、一度として、ヌンチャクを使って喧嘩をしているシーンに遭遇しなかったのは何故だろう。

「香港映画の撮影では、相手を本当に殴ったり、蹴ったりしているんだぜ。」という豆知識を披露するやつもいた。いわばフルコンタクト撮影である。「だから死ぬ役者が後を絶たないらしい。」と続けてくれた。いくら香港映画とはいえ、ありえない話である。

ただ、実際に、ブルース・リーに勝負を挑むエキストラは多かったらしい。もちろん、ブルース・リーは、ことごとく挑戦を退けた。私たちのにらんだ通り、彼は強かったのだ。

共にスパーリングをし、今では截拳道(ジークンドー)の最高師範でもあるダン・イノサントも、その圧倒的な強さに脱帽したひとりだ。何しろ、「ブルースは武術に関する限り、アインシュタイン、エジソン、レオナルド・ダ・ビンチのような存在だった。」(「悲劇の死 ブルース・リー 妻リンダの手記」リンダ・リー著 勁文社)と公言しているくらいである。

ノビーこと落合信彦が、アメリカ留学時代にブルース・リーと決闘をし、秒殺したという話は有名である。もちろん、話は有名だが、落合信彦のことだから誰も信じない。実際、日本のジークンドー関係者から訴えられたらしい。ノビー対ブルース・リー。実現していれば夢の対決である。

俳優としても、武術家としても、絶頂期で逝ってしまったブルース・リー。死後30年以上もたっているというのに、私たちは、まだ、ブルース・リーを超える存在に出会っていない。
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Comment

魔羅一郎 says... "これが最強ドラゴン"
仔猫ちゃん、こんにちは。
ブルース・リーの二番煎じを狙い、当時、随分といい加減なB級のカンフー映画が作られましたよね。
その中の一本に『片腕ドラゴン』なる低予算の、トンデモ映画がありましたが、猫先生はご記憶でしょうか?
何故か、私の記憶の中では、その映画が、ブルース・リーよりも鮮烈に輝いているのです。
内容は、タイトルそのままで、片腕をもがれた男が、復讐の為に悪を打つ勧善懲悪の話でした。
片腕と云うハンディを克服する為に、主人公は残った腕を炎の中で鍛え上げます。日本刀じゃあるまいし、とは思うものの、子供心に、まあ、そのくらいの過酷な修練は必要だろうと納得しました。
で、片腕ドラゴン、逆立ちして、腕一本、いえ、指一本でぴょんぴょん跳びはね、鋼よりも硬い凶器と化した自らの指先を敵の肉体に突き刺し、ばったばったと倒して行くのでした。
妙に子供っぽい、あどけない顔をしているくせに、何だかその殺しっぷりがエグくて、情け容赦が無いのです。チープで非現実的なストーリーのくせして、笑いの要素が無く、ただ、冗談みたいな闘いの中で、次々と殺戮を重ねます。
圧巻は敵のボスとの死闘です。
片腕ドラゴンも、充分に脱人間を果たした超人なのですが、ボスキャラは更に人間を逸脱した怪物でした。もの凄い鍛錬の果てに、どんなに攻撃されても、ダメージを受けず、ほとんど不死身なのです。
でも、そこは怪物の悲しい性、弱点がありました。
その弱点とは、「こめかみ、心臓、脇の下」なのです。
こめかみや心臓や脇の下は、怪物ならぬ普通の人間だって、弱点ですよねぇ・・・。
まあ、兎に角、その弱点を攻撃しない限り、決して倒すことの出来ない相手なのです。
片腕ドラゴンは、当然、人間をやめちゃった怪物野郎の急所を攻撃します。けれど、死なないのです。
そいつは、自分の弱点を熟知していて、攻撃された時の為に、急所をさえ鍛え上げていたのです。
「で、で、・・・でたらめだ~!」と、子供ながらに呆れました。
大阪弁で、「んな、アホな!」と突っ込みを入れたい気持ちでした。
弱点克服の予防策を打ち破る為に、片腕ドラゴンは、なんと「こめかみ×2、心臓×2、脇の下×2」と、弱点へ強打を二度ずつ撃ち込むのです。
そして、とうとう復讐を果たすのでした。
めでたし、めでたし。
見る者を後ろめたい気持ちにさせる、ハンディ持ちの主人公。あどけない少年顔と裏腹の、残虐な殺人技の数々。コミカルなのに、笑いの無い悪夢的な殺戮。常識を越えた死闘の連続。もう、最高でした。
子供の頃は、呆れてしまいましたが、今になると、もう一回見たい気がします。
片腕ドラゴン、彼こそが最強、最高のヒーローでした。
余りにも馬鹿っぽいので、感動の余り、「こめかみ、心臓、脇の下!」を攻撃し合って、兄弟や友達と、随分遊んだものです。

2005.10.24 11:55 | URL | #- [edit]
猫目 says... "ドラゴン無敵"
魔羅ぴん、おはようございます。

「片腕ドラゴン」、もちろん憶えています。
ジミー・ウォング!アクション俳優にして、香港黒社会の大物。日本でもかなりの暗躍をしていると聞いています。片腕立ては、当時、流行しましたが、もちろん、誰もできませんでした。

確かに、当時は、トンデモドラゴン映画が横行しました。
「ドラゴン対7人の吸血鬼」、ご存知ですか。当時流行のオカルト映画とドラゴン映画をいっしょくたにした珍品。でも、ヴァン・ヘルシンク役に、きちんと、ピーター・カッシングが出ていました。で、カンフーの助けを借りて、吸血鬼を退治しようという、無茶な設定。これは、まだ、メジャーな方ですが。

それにしても、貴兄が「片腕ドラゴン」を観ているなんて、新鮮な驚きでした。
2005.10.25 08:38 | URL | #GaU3vP2. [edit]

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