アングルのバイオリン

violon d'Ingres. 趣味か余技か、それとも悪ふざけか・・・ とにかくこれが私の日常。

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ノスタルジア



小学校時代は、すでに遠いものになってしまった。
娘が、私の卒業した小学校へ通っているから、時々、学校を訪れる機会がある。校舎もそのまま残っていて、もちろん、だいぶ改装は進んでいるが、それでも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、懐かしい気分を味わったりしている。

年をとったせいか、ここ数年、70年代のことが無性に懐かしく思い出されてしかたがない。
寅さんの映画を毎週楽しみにしているのも、そこに描かれている当時の街の風景に浸りたいからかもしれない。
「前向き」という言葉をやたらと耳にして鬱陶しいことこの上ないが、私は、「後ろ向き」の人間だと思っている。ノスタルジー万歳、である。

記憶は、長い年月を経ると、集団的な記憶へと吸収されてしまうような気がする。小学校時代の記憶は、当時の同級生、地域の小学生、そして、ゆくゆくは、同じ時代を過ごした同世代の子供たちのものと一緒になってしまう。
だから、実際には経験したことがなくても、懐かしさを覚えてしまうのだろう。
ニューエイジ的な思想というわけではない。要は、記憶というものは、意外と不確かなもので、時を重ねるにしたがって都合よく作りかえられてしまうらしい。そんな過程で、根も葉もない事まで、自分の記憶としてまとめあげられてしまう。だから、面白い。
もっとも、他人の記憶までいただけるのだから、こんなありがたい話はない、と思うか、それとも、他人の記憶など汚らわしい、と潔癖を貫くか、それも、人それぞれだとは思うが。

時間のベクトルの中で共有化されてゆくのが少年時代の記憶だとすれば、空間のベクトルの中で共有化されてゆくのが、いわゆる「都市伝説」。いったい、どこの誰が言い出したのかわからないが、いつのまにか、子供たち誰もが知っている話になっている、というやつ。「口裂け女」も、「学校の花子さん」も、「ピアスの白い糸」も、みな、「都市伝説」である。


日曜日に、小学校で同窓会があった。教室の電気を消してカーテンを閉め、スクリーンに昔の写真を投影した。遠足や、校庭でのスナップ。集合写真。天真爛漫だったあの時代の記憶が甦る。喧嘩もしたし、かけっこで負けて悔しい思いもしたが、一点の曇りもない毎日。暗い教室で、しばし、ノスタルジーを堪能した。
投影が終わってカーテンを開いた。まぶしい光が飛び込んでくる。一気に夢から覚めた気分だ。高層ビル、マンション、窓の向こうを覗くと、懐かしい写真で見たものとは違う風景が広がっている。
自分の頭の中の時計を直すのに、ほんの数秒だけ、かかった。
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